2015年03月16日
ばあちゃん、また逢う日まで。
祖母が亡くなって、何日か過ぎた。
九十四年と九ヶ月生き抜いて、祖母は旅立って逝った。
ずっと、「自分はおばあちゃん子」だって思ってはいたけれど、これ程だとは自分でも思わなかった。
数日間、やる事はたくさんあったけれど、心はポカンとして、からっぽだった。
四つ周り上の申年で、ちっちゃい頃何年間か一緒に暮し、いろんな事を一緒に過ごし、たくさんの世界を教えてくれたばあちゃんが、僕は大好きだった。
たくさんの花の名前を教えてくれた、何回も何回も島々線を一緒に見に行った、お正月の度に花札大会をした、「おばあちゃんだって謙一に負けないよ!」って、五十過ぎてエレクトーン習ってグレードを取り出した.......。
小春も櫻子も、うんとかわいがってもらったな...。
葬儀は、明日。
今は、骨になったばあちゃんを見ても、なんにも現実味を帯びない心。
明日、こみ上げてくるかもしれないな.......。
ばあちゃん、今までたくさんたくさん、ありがとう。
ばあちゃんが毎年楽しみにしていた、蕗の薹と福寿草が、今、ばあちゃん家でいい感じになってるよ。
何十年後か、また、逢う日まで。
九十四年と九ヶ月生き抜いて、祖母は旅立って逝った。
ずっと、「自分はおばあちゃん子」だって思ってはいたけれど、これ程だとは自分でも思わなかった。
数日間、やる事はたくさんあったけれど、心はポカンとして、からっぽだった。
四つ周り上の申年で、ちっちゃい頃何年間か一緒に暮し、いろんな事を一緒に過ごし、たくさんの世界を教えてくれたばあちゃんが、僕は大好きだった。
たくさんの花の名前を教えてくれた、何回も何回も島々線を一緒に見に行った、お正月の度に花札大会をした、「おばあちゃんだって謙一に負けないよ!」って、五十過ぎてエレクトーン習ってグレードを取り出した.......。
小春も櫻子も、うんとかわいがってもらったな...。
葬儀は、明日。
今は、骨になったばあちゃんを見ても、なんにも現実味を帯びない心。
明日、こみ上げてくるかもしれないな.......。
ばあちゃん、今までたくさんたくさん、ありがとう。
ばあちゃんが毎年楽しみにしていた、蕗の薹と福寿草が、今、ばあちゃん家でいい感じになってるよ。
何十年後か、また、逢う日まで。
Posted by 関 謙一 at 17:40│Comments(0)
│日々、思い感じる